「人間が死んだ時に出て行く魂の重さは21グラム」
臓器移植によって結びつき絡み合った人間関係の中で起こる事件、というだけの前情報で見たのですが、これが大変に重い映画でした。
<結局こういう話です>と安直に語れてしまうようなテーマも結論も与えられず、答えの出ない複雑な問題定義を真正面からぶつけられます。罪の贖罪、信仰と神の沈黙、消滅と再生。
素晴らしい作品だとは思うのですが、…重いなあ。
誰か一人を主人公として感情移入させることを拒むような、神の視線で語られるので、自分の精神状態によっては無常の境地に引きずられそうで、辛い。
(もちろんラストには、再生へと繋がる救いはあるのですが。)
「それでも人生は続く」と、何度も繰り返し語られますが、だからといって明るく前向きな気分にはなれないし、そういうお気楽なメッセージでもありません。むしろ、辛いことも良い日々も色々あって、それでも淡々と人生は続く。諦めにも悟りにも似て、そこに微かな開き直りにも通じる明るさを追い求める境地。
元ドラック常用者ながら、今は立ち直って、子供2人と夫と共に一軒家で幸せに暮らす女性。
犯罪を繰り返す前科者だったが、神を信じる事でまっとうな人生の仕切り直しを始めた男。
教授として名誉も地位もありながら、心臓病で余命いくばくもない男。
まったく違う、普通なら交わることのない人生を歩んでいる3人が、ひとつの事故によって複雑に絡み合うのです。因果が因果を呼び、空中で絡み合ったパラシュートのように、切りもみしながら落ちていく3人。
ストーリーのプロットだけを取れば、他にも似たような作品はあったような気がするし、ともすればメロドラマになりそうな話でもあるのですが、この映画を印象深くしているのは、その特殊な編集法。
たとえるなら3枚の別々のジグゾーパズルを、ばらばらにしてひとつの箱に入れてシェイクし抽選ボックスのように、そこからランダムに一枚ずつ取り出して並べたような。しかもそのパズルはただの1枚絵ではなく、そこには時間の概念もあるわけです。
時間軸と登場人物の視点が、数分〜もしくは数秒単位で切り替わり、細かく行き来します。
始まってしばらく…どころか、2時間の映画の半ばに来るあたりまで、何がどうなって何に向かっている話なのか、まったく判らない。な、なんだこれ…と不安にすらなります。
…実はこの話法によって、もっと普通に感動的にも撮れた話を、いたずらに難解で高尚な雰囲気にしてしまったとも思えて、私としては大変微妙な評価になっています。いやもちろん、この編集の妙によって揺すぶられる感情があり、そこが素晴らしいのも確かなんですが…。
普通に感動作にした方がよかったと言っている訳ではありません。このテーマと物語を語るのに、もっと伝えやすい方法もあったのでは、という気分になったのですね。技巧で語り過ぎている印象も受けるのです…。いえ、技巧で語れる所が映画ならでは、というのもあるけど…ジレンマ。
このランダムカットバックに、明確な必然性がないので余計そう感じてしまったのかも。『メメント』なども細切れ編集で話題になりましたが、あれは主人公の記憶疾患の追体験という理由がありましたからね…。
特筆すべきは、やはり主演3人(ナオミ・ワッツ、ショーン・ペン、ベニシオ・デル・トロ)の素晴らしい演技。今年のアカデミー賞では、3人とも主演助演にノミネートされていました。
(ショーン・ペンはこの作品でなく『ミスティック・リバー』での受賞ですが。)
この役者の誰が欠けても、この映画独特の編集による心理描写は成立しなかったのではという気分にもなります。素晴らしい役者と素晴らしい編集(監督)という絶妙なバランスによって一級になり得た映画といえるのかもしれません。
監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ 出演:ショーン・ペン/ナオミ・ワッツ/ベニチオ・デル・トロ 2003年米国作品
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